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判例研究(水曜会)
64.【進歩性】 令和5年(行ケ)第10084号 審決取消請求事件
【事 件】 令和5年(行ケ)第10084号 審決取消請求事件 【関連条文】 特許法第134条の2、第126条(訂正要件) 特許法第29条第2項(進歩性)
1.事件の概要 ・本件は、特許第4362657号「電動式衝撃締め付け工具」に関する事案。 ・特許無効審判において訂正請求が認められ、無効理由が否定された審決について、無効審判請求人が取消しを求めた。 ・主な争点は、訂正要件の適合性と進歩性(甲2発明を主引例とする無効理由4)。
2.事件の経緯 平成17年 9月 7日 優先日 平成18年 3月11日 出願(特願2006-22116号) 令和 3年 3月16日 無効審判請求(無効2021-800019) 令和 4年 4月28日 訂正請求書提出 令和 5年 6月21日 審決(訂正を認め、特許維持) 令和 5年 7月26日 審決取消訴訟提起 令和 6年 7月17日 知財高裁判決(審決取消、特許庁に差し戻し) 令和 7年 8月26日 差戻し後審決(請求項1を無効とする)
3.争点 ① 訂正要件の適合性 ・特許請求の範囲の減縮に該当するか ・新規事項に該当しないか ② 進歩性 ・甲2発明(特許第4362657号)に甲1発明(※1)を適用する動機付けの有無が当業者に認められるか ・高トルク化や磁石貼設方法など、技術課題の共通性が存在するか ・裁判所は、課題の共通性および周知技術の範囲内であるかを判断基準とした
※請求項1の「衝撃発生部」を「作動油によりトルクを発生する油圧パルス発生部である衝撃発生部」に限定 → 明細書記載範囲内で、特許請求の範囲の減縮に該当
訂正後の請求項は明確で、明細書のサポート要件を充足
進歩性の判断については、裁判所は無効理由4に限って検討している。このため、以下では無効理由4のみ記載する。 ・相違点1(モータ型式) ・本件訂正発明:アウタロータ型モータ(※2) ・甲2発明:インナロータ型モータ(※3) ※甲2発明は、インナロータ型モータを備える手持ち式電動締め付け工具に関する発明である。 ※甲1発明は、アウタロータ型モータの発明であって、高トルク化を実現する手段を示し、パワーハンドツールへの応用を示す。 ・判断理由: ・甲2発明にアウタロータ型モータへの置換を示唆する記載はなく、甲1発明に、パワーハンドツールの下位概念である電動式衝撃締め付け工具への適用までは示唆されていないため、甲2発明に甲1発明を適用してアウタロータ型モータに置き換える動機は当業者には認められない。 ・当業者の通常の知識・経験に基づき「高トルク化」を実現する手段は多数存在するため、インナロータ型からアウタロータ型への置換が自然な選択であるとは言えない。
5.原告(無効審判請求人)の主張 ① 訂正要件違反 ・明細書にはベーン式オイルパルス装置しか記載がなく、訂正後の文言「作動油によりトルクを発生する油圧パルス発生部」は記載事項を超える ② 進歩性の誤り ・モータの型式のほかに、磁石の保持態様に関する構成に差異がある ・相違点1(モータ型式の置換) ・高トルク化は締め付け工具分野で周知かつ自明の課題であり、甲2発明と甲1発明は課題が共通 ・この課題の共通性に基づき、甲2発明のインナロータ型モータを甲1発明のアウタロータ型モータに置換することは当業者が容易に想到可能 ・相違点2(磁石の貼設) ・ロータに磁石を保持する手段として、エポキシ系やアクリル系接着剤の使用は周知技術 ・したがって相違点2は実質的に相違点でなく、容易に想到可能
6.被告(特許権者)の反論 ・明細書は特定のベーン方式に限定せず、訂正も開示範囲内である。 ・請求項1のアウタロータ型電動モータは、電動モータに関するひとまとまりの技術思想を示す発明特定事項であるから、磁石の貼設部分のみを独立の相違点2として抽出するのは失当である。 ・甲2発明と甲1発明とは課題が異なり、両者を組み合わせる動機付けはない。加えて、甲2発明では、比較的発生トルクが小さく小容量のモータを採用することでツールの小型化を図ることが示唆されており、甲2発明に甲1発明の高トルク型モータを適用することには阻害要因がある。
7.裁判所の判断 (1)訂正の適法性 ・訂正後の文言は、明細書中に油圧式パルス発生装置の具体的記載があり開示範囲内 ・特許請求の範囲の減縮に該当し、新規事項にも該当せず
(2)進歩性の判断誤り 相違点1:モータ型式 ・本件訂正発明:アウタロータ型モータ(※2) ・甲2発明:インナロータ型モータ(※3) ・判断理由: ・当時、手持ち式電動締め付け工具(※4)においては、仕様上トルクを高めることが重要な要素であることが周知の課題であった。例えば、甲24文献(工業用工具カタログ)には、手持ち式工具ではトルクを高めることが設計上重要であることが明示され、技術常識として認識されていたことがうかがえる。したがって、甲2発明も高トルク化を課題としていることが認められる。 ・甲1発明のアウタロータ型モータは、高トルク化を実現する手段として周知技術の範囲内にあり、当業者は通常の知識・経験に基づき容易に想到可能である。また、甲18文献(シャープ技報、第82号・2002年(平成14年)4月「モータの最新技術動向」池防泰裕)には、アウタロータ型モータはインナロータ型モータより高トルク化が容易であることが記載され、当時の周知技術であったことがうかがえる。 ・甲2発明と甲1発明がともに「高トルク化」という課題を共有する点に着目し、甲2発明に甲1発明を適用する動機付けを認め、当業者が容易に想到できると判断した。 ・甲2発明の明細書(段落【0013】)では、電動モータに「小容量のモータを使用」することだけでなく、その前段において「発生トルクの大きいDCモータを使用すること」が説明されていることからすると、甲2発明に高トルクのアウターモータを適用することに阻害要因があるとはいえない。
相違点2:磁石の保持態様 ・本件訂正発明:磁石がステータの外周側に隙間を設けて貼設 ・甲2発明:磁石を保持する具体的な保持態様は明示なし ・判断理由: ・アウタロータ型モータでの磁石貼設方法は周知技術であり、当業者は容易に想到可能
(3)結論 相違点1および相違点2について、裁判所は当業者が容易に想到可能と判断し、進歩性を否定した。その結果、審決は取り消され、特許庁に差し戻された
8.コメント 本判決は、特許庁が、インナロータ型モータをアウタロータ型モータに置換することは当業者にとって自然な設計的選択ではないとして動機付けを否定したのに対し、裁判所が、手持ち式電動締付工具において「高トルク化」が周知の技術課題であることを他の引用文献に基づいて認定し、甲2発明および甲1発明がいずれも高トルク化を課題とする点に共通性があることを指摘した上で、当該課題を解決する手段としてアウタロータ型モータを採用する動機付けを肯定した点に特色がある。 すなわち、審判段階では立証されていなかった課題の周知性が、裁判段階において文献により補強されたことにより、動機付けの有無に関する判断が覆ったものであり、課題の周知性の立証が進歩性判断において重要な役割を果たすことを示した事例といえる。 また、本判決は、引用発明に明確な示唆が認められない場合であっても、発明間で課題が共通する場合には動機付けが認められ得ることを示したものであり、進歩性判断における実務上の重要な留意点を示す判決例である。 さらに、本判決は、明細書に明示されていない課題であっても、当該分野における周知技術や他の文献に基づいて認定され得ることを示すとともに、「小型化」などの一般的・抽象的な課題のみに依拠して阻害要因を主張することは困難であることを示唆している。 加えて、課題が異なるというだけでは動機付けを否定する根拠とならず、組み合わせ後の構成が技術的に成立し得る限り、阻害要因の主張が容易には認められない傾向があることも確認できる。したがって、本判決は、課題の周知性や技術的整合性を中心に、動機付けの有無を判断する際の論理構成と主張立証の方向性を整理する上で、有益な示唆を与える事例である。 本判決は、進歩性判断において『課題の認定と周知技術の裏付け』の重要性を再確認させるものであり、今後の無効審判対応や審査段階の主張構成にも実務的示唆を与える。
※1B.C. Mecrow, A.G. Jack, D.J. Atkinson, P.G. Dickinson and S. Swaddle, “High torque machines for power hand tool applications,” Proc. International Conference on Power Electronics, Machines and Drives (PEMD 2002), Santa Fe, NM, USA, May 10–15, 2002, pp. 644–649, doi:10.1049/cp:20020192. ※2(アウタロータ型モータ):回転子(ロータ)がステータ(固定子)の外側を回転するタイプ。高トルク化および冷却性に優れる。 ※3(インナロータ型モータ):回転子がステータの内側で回転するタイプ。構造上コンパクトで軽量化しやすい。 ※4(手持ち式電動締め付け工具):作業者が手で保持して締め付け作業を行う小型電動工具
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2025/10/29