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判例研究(水曜会)
53.【新規事項】 平成26年(行ケ)第10206号 審決取消請求事件
【関連条文】 第17条の2第3項(新規事項の追加)
1.事件の概要
無効2012-800140号事件の審決の取り消しを求めた。
2.経緯
平成12年 1月28日 出願(特願2000-24724号)
平成15年 6月13日 設定登録(特許第3438692号)
平成24年 8月31日 無効審判請求(無効2012-800140号)
平成24年11月30日 訂正請求
平成25年 6月17日 請求棄却審決(有効審決)
3.争点
訂正の適否についての認定判断の誤り(取消事由1)
4.本件明細書の内容
(1)特許された特許請求の範囲(請求項1):特許公報参照
(2)訂正された特許請求の範囲(請求項1):
【請求項1】
本体ハウジングと、
この本体ハウジング側に設けられて被検出物の回転に応じて回転する磁石と、
前記本体ハウジングの開口部を覆い前記本体ハウジングとは熱膨張率が異なる樹脂製で縦長形状のカバーと、
このカバー側に固定された磁気検出素子とを備え、
前記磁石と前記磁気検出素子との間にはエアギャップが形成され、
前記磁石の回転によって変化する前記磁気検出素子の出力信号に基づいて前記被検出物の回転角を検出する回転角検出装置において、
前記磁気検出素子は、その磁気検出方向と前記カバーの長手方向が直交するように配置されていることを特徴とする回転角検出装置。
5.審決の理由
本件訂正は、「熱膨張率」に関し、請求項1において、「前記本体ハウジングとは熱膨張率が異なる樹脂製のカバー」との事項を追加するものであるところ、本件訂正後の訂正明細書等の記載全体を総合して検討すると、熱膨張率に関して、カバーの熱膨張率が、本体ハウジングの熱膨張率より大きい場合のみが記載されており、小さい場合は記載されているとはいえないから、訂正後の「前記本体ハウジングとは熱膨張率が異なる樹脂製のカバー」との記載は、実質的には、「前記本体ハウジングより熱膨張率が大きい樹脂製のカバー」との事項にほかならない。
(中略)
したがって、本件訂正は、「熱膨張率」に関し、本件訂正前の本件明細書等のすべての記載を総合することにより導かれる技術的事項との関係において、新たな技術的事項を導入しないものである。
6.原告の主張
「熱膨張率が異なる」との記載からは、「カバーの熱膨張率が本体ハウジングの熱膨張率と同じではなく、大きい場合と小さい場合の両方が含まれる」という技術的意義を一義的に明確に理解できるものであり、他の解釈を差し込む余地はないにもかかわらず、このような認定することは、最高裁昭和62年(行ツ)第3号(リパーゼ事件最高裁判決)にも反するものであって、誤りである。
審決も認めているとおり、本件明細書等の発明の詳細な説明には、カバーの熱膨張率が本体ハウジングの熱膨張率より大きい場合のみが記載されており、小さい場合は記載されておらず、さらに、カバーの熱膨張率が本体ハウジングの熱膨張率より小さい場合を示唆する記載もない。
7.被告の主張
訂正前の特許請求の範囲には、「熱膨張率」の限定がなかったのであるから、「カバーの熱膨張率が本体ハウジングの熱膨張率よりも小さい」が含まれるとすれば、それは訂正によって新たに含まれることになったのではなく、訂正前から含まれていた事項であるといえる。
(省略)...樹脂製カバーの熱膨張率が本体ハウジングの熱膨張率より大きい例は、熱変形が生ずる典型的な事例であって、...訂正発明の技術的思想は、必ずしもこの一実施例に限定されなければならないものではなく、熱変形による位置ずれの抑制に関しては、樹脂製のカバーの熱膨張率が本体ハウジングの熱膨張率より小さい例も、殊更に除外すべき技術的必然性はない。
8.裁判所の判断
上記訂正後の記載を見れば、「熱膨張率が異なる」とは、本体ハウジングに対してカバーの「熱膨張率が大きい」場合と「熱膨張率が小さい」場合がふくまれることになることは、文言上明らかである。
本件明細書等には、(省略)...樹脂製のカバーが(金属製の)スロットルボディーに比べて「熱膨張率が小さい」ことは明示的に記載されておらず、これを示唆する記載もない。
(省略)...自動車のスロットルバルブの回転角検出装置において、エンジンルームからスロットルバルブに到達する熱により、本体ハウジングに相当の熱量が加わることを前提としていることはその構造上自明であるから、そのような熱量の加わる本体ハウジングにカバーよりも熱膨張率の大きい材質を用いることは技術的に想定し難い。(省略)...スロットルバルブ以外の被検出物を想定したとしても、(省略)...本体ハウジング側の熱膨張率が、樹脂製のカバーよりも大きいという例は、スロットルバルブの回転角検出装置以外の装置においても、想定されていないというべきである。
そうすると、樹脂製のカバーの熱膨張率が本体ハウジングの熱膨張率よりも小さいことは、出願の当初から想定されていたものということはできず、本件訂正により導かれる技術的事項が本件明細書等の記載を総合することにより導かれる技術的事項であると認めることはできない。
(省略)...明細書の発明の詳細な説明の記載を参酌しなければ特定できないような事情はないのに、「前記本体ハウジングとは熱膨張率が異なる樹脂製のカバー」の意義を「前記本体ハウジングより熱膨張率が大きい樹脂製のカバー」に限定的に解釈することは相当ではない。
9.私見
(1) 審決及び判決ともに、平成20年5月30日になされた新規事項追加に関する知的財産高等裁判所の大合議判決に基づいて、新規事項追加の判断をしている。しかしながら、審決では、クレームに記載されていない事項を、明細書の記載から実質的にクレームに記載されているものとして、新規事項の追加を判断している。これは、リパーゼ事件最高裁判決は、新規性、進歩性などの特許要件に関する判断が射程であるから、新規事項の追加の判断には影響が無いとの解釈のもと、大合議判決における「明細書等の記載全体を総合することにより導かれる技術的事項」を基準として新規事項の追加を判断したものと思われる。
(2) 裁判所は、明細書等の記載を参酌しなければクレームの技術的事項を特定できないような事情はないとしていることから、新規事項の追加の判断におけるクレームの解釈においても、リパーゼ事件最高裁判決を踏まえていると思われる。他方、明細書等の記載を総合しても、樹脂製のカバーの熱膨張率が本体ハウジングの熱膨張率よりも小さいことは本件発明の課題として想定されていないし、技術常識を参酌しても想定し難いから、新規事項であると判断している。したがって、リパーゼ事件最高裁判決を持ち出すまでもなく、大合議判決の基準のみによっても審決を取り消せるようである。
(3) 一般に、発明の要旨に関する技術的事項でない補正における新規事項の追加の判断は、明細書等の開示のみならず、出願時の技術常識も参酌される傾向にあると思われる。本件では、クレームのいわゆる「おいて書き」の前段部分に関する訂正の適否について争われており、新規事項の追加の判断において、明細書等の記載のみならず、出願時の技術常識が参酌されてもよい事例と思われる。
カバーと本体ハウジングの熱膨張率の違いは、本件発明の課題に関するものである。一般に、発明の課題は、例えば、進歩性の議論において対比される引用発明との関係において流動するものであり、必ずしも出願時に明確に特定できるものではない。また、発明の課題は、必ずしもクレームにおいて特定すべきものではなく、明細書等から把握できれば足りるものである。本件において、発明の課題を訂正で特定したのは、サポート要件違反の無効理由を回避することが目的であると思われる。
裁判所の判断によれば、出願当初に想定されていない課題を事後的にクレームに含ませることは新規事項の追加となる。しかし、発明の要旨に関する技術的事項には実質的に何ら新たに含まれるものがなくとも、出願時に想定していない課題を含む訂正(補正)は、新規事項の追加としなければならない理由が何なのか、すなわち如何なる不測の不利益が第三者に生ずるのかは示されていない。逆に、サポート要件違反を回避するために、クレームにおいて課題が生ずる構成を特定することは、実質的にはクレームの限定であり、その限定によって新規性、進歩性などの特許要件を満たすことを目的とするものではないのであるから、出願時の技術常識の範囲であれば、出願時の技術常識から当業者が理解できる課題を追加することは、新たな技術的事項でないと判断することが妥当であるように思われる。
(4) 実務的には、課題を具体的に記載することが、客観的に明細書等から把握できる課題が狭くなる場合が生じ、例えば、クレームで特定される発明が課題(作用効果)を解決する範囲を超えていることを理由としてサポート要件違反を指摘された場合に、課題が生じる構成をクレームに追加する補正において、明細書等から把握された狭い課題に限定されることがあることを示す事例である。
他方、課題が狭く解されることを嫌って課題を曖昧に記載すると、進歩性の論理づけの議論において不利になることが想定される。したがって、クレームした発明の範囲(作用効果)と課題の大きさとが釣り合っているかをサポート要件の観点から判断することや、サブクレームで特定した発明特定事項に対する進歩性の議論において、課題に転換できるような作用効果の記載をしておくことが必要である。